何か書きます

 ブログ担当のMくんから「順番なので更新してください」と再三の勧告を受けては流してきましたが、いかな温厚なMくんにも堪忍袋の緒というものがあると思うので、更新いたします。すみません。
 ふとした折に、好きでつい読み返したくなる、とある手紙があります。それは、政治犯としてシベリアの監獄で4年間の徒刑を終え、ついで兵役に向かう前に、監獄生活でお世話になったさる婦人に宛てたドストエフスキーの書簡です。長くなるかもしれませんが、ちょっと全文引用してみようと思います。興味のある方は読んでみてください。日本語訳です。

《あなたの手紙から、なぜかは知らぬが、あなたは故郷に帰って機嫌を悪くしているなと思いましたよ。私にはよく解る、私は時々考えた事がある、たとえ故郷に帰れても、印象は楽しいよりむしろ悲しいものだろうと。私はあなたの生活をしたわけではない、あなたの生活は私には解らない事だらけだ。誰だって他人の生活を、本当のところ知りはしない。しかし人間の感情はやはり、我々すべてに共通だ。してみると、私にはこう思われる。流刑者というものは皆、故郷に帰ると、過ぎ去ったすべての悲しみを意識や記憶のうちで、もういっぺん生きてみねばならぬものだと。これまで堪え忍んで来たもの、やり通して来たもの、奪われて来たもの、そういうものの本当の目方を秤にかける様なものだ。あなたも神様のお陰で長生きしたものですね。あなたは大変宗教心のあつい人だと皆が言う。それだから言うのではない、私自身、宗教の事はよく確かめたし、経験して来ているから、あなたに言いたいのだが、あなたの様な状態にある時、人間は『枯草の様に』信仰を渇望するものだ、そして遂にそれを得るものだ、それと言うのも、ただ、人間は不幸な時に、はっきり真理を知るという簡単な理由によるのです。私自身については、あなたにこう言って置きたい、私は現代の子だ、不信と懐疑との子だ、恐らく(といっても実はよく承知しているのだが)一生涯そうでしょう。信仰への渇望に、私がどんなに恐ろしく苦しめられたか(今でも苦しめられている)、反証を握れば握るほど、この飢えは強くなる。しかしそれでも神様は、時々、私に全く安らかな瞬間を授けてくれる。そういう時には私は人を愛しもするし、人から愛されていると信ずる。そういう時に私は自分の信条を作った。この信条によれば、すべては私にとって神聖で判然としているのです。信条は極めて簡単で、次の通りだ。世の中に、キリストより魅力ある、深い思いやりのある、筋の通った男らしい、完全な人はいないと信ずる事なのです。私は、油断のない愛情を抱きながら、自分に言って聞かせる、彼の様な人は世の中にはいない、いや、あり得ないと。進んでこう言ってもいい、誰かが、キリストは真理の外にいる、真理は確かにキリストを除外すると私に証明したとしても、私はキリストと一緒にいたい、真理と一緒にいたくないと。
 まあ、こんな話はもうこれ以上言いたくありませんね。しかし私にはどうもよく解らない事だが、ある種の話題があって、世人は決してこれに触れたがらない、それを持ち出すと、皆具合の悪い気持ちになる。何故だろう。まあ、そんな話も沢山だ。あなたは南方のどこかに行かれる由、聞きましたが、許可状がどうかうまく下りればよいがと思っています。だが一体、私達はいつになったら本当に自由な身になれるのか、少なくとも世間並みの自由が得られるのか、一つ教えて頂けませんかね。自由など要らなくなった時に、やっと自由になれるのではないかな。私としては、すべてか然らずんば無という気持ちです。こんな兵隊服を着せられていては、以前と変わらぬ囚人ですよ。私の心の内には、まだまだ長い間持ちこたえる忍耐力がある、世間並みに財産など作ろうという望みはない、本があり、書く事ができ、毎日数時間、独りでいる事ができれば他に望みはない、そう考えていれば、なかなか嬉しいものです。独りでいられない事が一番苦しい。ほとんど五年間、私は絶えず監視され、幾人かの人々と一緒に生活してきた、一時間でも独りでいた事はない。独りでいる事は、食べたり飲んだりする事と同様、自然な要求です。極端な共同生活をしていると、人間は心底から人類を敵とする様になる。他人と絶えず交渉している事は、毒物や疫病の様な作用をします。この四年間、私はこの拷問に苦しんだ。善人だろうが悪人だろうが、誰も彼も憎い、どいつも人の生活を盗みながら、罰も食わない泥棒だと思った時もあった。そういう時、自分が不正になり、悪心に満ち、邪悪になるのがよく解り、どうにかしたいが自分ではどうにもならぬ、それが一番つらい。これは私の体験です。そんな目にあわぬ様に、神様はあなたをお守り下さるだろうと思う。あなたは婦人として、人をゆるし、物事に耐える力をずっと持っておられるでしょう。
 お手紙下さい。私はいま本当のアジアの砂漠に向けて、出発しようとしている。セミパラチンスクに着いたら、すべての私の過去、すべての私の記憶や印象は、私を去ってしまうだろう、そんな気がします。今まで愛してこなければならなかった人々、私の過去の影の様に立っていた最後の人々も、あちらへ行けばもういないでしょうから。私は恐ろしく人なつっこい方で、周囲の人々にたちまちしっかり結びついてしまうから、さて別れるとなると実につらい。どうか幸福にできるだけ長生きして下さい。再びお目にかかれる事でもあったら、お互いに改めて知りあう事柄もあろう、お互いに幸福な日が送れるかも知れない。私は絶えず何かを期待して生きています。今はまだ身体の調子がよくないが、やがて、いやすぐにも、何か決定的な事が起こるに違いないと感じている。生涯の危機に近づいている、何か来るべきものに向かって熟している、何か静かな光るものに向かって、何か恐ろしいものに向かって。いずれにせよ、避けられぬ何ものかが差し迫って来ているのを感じています。さもなければ、私の一生は破滅でしょう。それとも、みんな精神錯乱ですかな。さようなら、いやまたお目にかかるまで。どうでしょうか、私達はもう一度会いたいものですね。追伸―乱雑な汚い手紙をお許し下さい。嘘偽りのないところ、私は、消しなしでは決して手紙の書けぬ男だ。怒ってはいけません》

 書き写してみて、案の定長かったですね(笑)ただドストエフスキーが消しなしで伝えたかったことを、私も消しなしで済ませたかったのです。
 私は宗教のことはよく分かりませんが、現代の監獄とは比べものにならないくらい劣悪な環境によって肉体的にも精神的にも苦しめられ(監獄生活の様子は兄への手紙や『死の家の記録』という作品でも述べられています)、またドストエフスキー自身に固有の、思想に対する問題意識によっても苦しんでいた時に、同じように苦悩するもう一人の人間の姿を思い浮かべてみて、持ちこたえる。それがドストエフスキーにとってのキリストだったのでしょうか。それなら私にも分かるような気がします。ただそれは身近な人であってはならない、時空的に遠くにある人でなければならないと思っています。
 どうでしょうかMくん。これくらいで大丈夫でしょうか。むこう2年間分くらいの字数は更新しておきました。もうこんな時間です。寝ます。おやすみなさい。
       下呂戦記